大圓寺概要・縁起
概要
平安時代に創建された
由緒ある寺院
大佛大圓寺は、平安時代中ごろの康平3年(1060年)9月、早良郡西入部村(現、早良区西入部)に鎮守府将軍源頼信公によって天台宗として建築されたと伝えられています。
後に大宰大貮となった平清盛により衰退させられました。
鎌倉時代の正和5年頃(1316年)、崇福寺の第3祖大応国師が帰朝した際、大圓寺の荒廃を嘆き、臨済禅宗として復興されましたが、戦国時代、再び戦火により荒廃。
その後、江戸時代の慶長12年(1607年)、黒田如水公夫人の援助により荒戸山山麓に浄土宗として再建され、慶安2年(1649年)に現在の地に移転されました。
本尊の大仏様は安永5年(1776年)、第9代愍誉上人により7年の歳月を費やして造立された、九州では稀有な樟の阿弥陀仏座像。
総高は4.85mあり、厄除け
不燃
の大仏として信仰されています。
また、五重塔は平成7年(1995年)、大誉上人により、福岡県初の木造五重塔(塔身26.518m)として建立されました。
縁起
- 創建
平安時代の中ごろの康平3年9月朔日(1060年)早良区西入部村(現、早良区西入部)に鎮守府将軍、源頼信公によって天台宗として創建されたと伝えられる。
後に、太宰大貮となった平清盛によって衰退させられた。 - 中興
鎌倉時代の文永8年頃(1271年)聖福寺の第3祖大応国師が宋より帰朝し、大圓寺の荒廃を嘆き済禅宗として復興。
戦国時代、再び戦火により荒廃し、現在は3,000坪の敷地に観音堂と広大な大円寺池を残すのみである。 - 改宗
江戸時代の慶長12年頃(1607年)、黒田如水公夫人 光姫の援助により荒戸山山麓(現、西公園4-35-41)に浄土宗として再建された。
- 移転
慶安2年(1649年)荒戸山に東照宮を建立することとなり、元寇防塁の跡地である現在の地、 荒戸後浜に白銀と松樹を賜り移転。筑前国福岡大圓寺町として昭和43年まで公称名として続いた。
その後、町名改訂により現在の唐人町3丁目10-9となった。 - 本尊
本尊の大仏様は安永5年(1776年)第9代愍誉上人により7年の歳月を費やして造立された、九州では稀有な樟の阿弥陀仏座像である。
総高は4.85m あり、厄除け 不燃 の大仏として信仰されている。 - 五重塔
平成7年、大誉上人により海水に強い能登半島産の檜を使用し、福岡県初の木造五重塔(総高38.5m)として建立された。
- 会館庫裡
当寺院の浄土宗開宗400年記念事業を計画中の平成17年3月20日「福岡西方沖地震」により甚大な被害を受けた。
墓地整理再構築、本堂大改修、会館庫裡3階建新築、境内地整備を平成19年度に完成(バリアフリー、エレベーター、椅子席、通夜室、集会堂)。 - 境内
現在の大圓寺の玄関周辺が元寇防塁の跡である。
正木 昌陽 朱子学の漢学者、墓石と碑有り(場所がわかりにくいので、お寺にお尋ね下さい)
日高 信六郎 日本人でモンブラン初登頂したイタリア大使。
日高家先祖の墓石有り。
日寺枝 誠記 国語学者、時枝家先祖の墓石有り。